海外の家族愛が感じられる作品

アイ・アム・サムを忘れてはいけない

家族愛をテーマにした作品は多く見かけられますが、日本ではない外国でもそれらをモチーフにした作品は多く見られます。個人的には日本よりも家族との繋がりを重視した作品が多いと感じている。ただの偏見に近い感覚なのかもしれない、それというのも家族をテーマにした名作が洋画には非常に多いと思えるからだ。日本国内で上映された家族ものは日本でヒットすることもある、ただ日本の映画界は世界的に見て狭小な世界観で成り立つ、ガラパゴス化していると言っても良い。ごく稀に世界市場でも通用する作品は登場するものの、話題を放つかどうかは微妙なところ。そういったところも大きく関係しているでしょう。

では家族愛をテーマにした作品として取り上げる、一度は見ておきたい名作ともいうべき作品をいくつか上げてみたい。その中でも真っ先におすすめしたいのが『アイ・アム・サム』という映画だ。2002年に公開された時には日本で大きく話題に取り上げられた作品です。映画を見に行かなかった人でも、当時はテレビで大きくCMが放送されるなどして盛り上がる状況を理解していたと思いますが、今作は家族の尊さを物語る作品として欠かすことの出来ない世界観となっています。

家族で観る映画

子供を育てることの難しさ

家族を持ちたいと考える人ならいつかは直面することになる必然とも言える問題、子育て。今作はそんな子育てを一般的な男性ではない、知的障害を持ちながらも懸命に愛娘を育てている男性が主人公におかれている。父娘二人だけの生活は決して裕福ではないが、それでも二人の間には確かに父娘としての情も存在し、彼らに繋がる絆は誰にも断つことが出来ない。けれど現実は過酷なもの、知的障害をもつ父親は知能指数が退行しており、壮年の男性に見えても中身は7歳のままだった。そして娘は肉体・精神ともに7歳となっているので、いわば父娘というよりは友達といった見方がしっくり来ます。

ですが娘は父として、父は娘として認識している。そんな二人の関係を知りながらも、健全な子供を障害を持つ人間に育成させるわけにはいかないとして世間は二人を引き離した。当然父はそんな決定に承服できるはずもなく、周囲の仲間の力を借りながら娘を取り戻そうと奮闘するも認められることはなかった。やがて弁護士も雇うが、子供を育てることの難しさを冷たく突き放すものの、それでも娘を諦めることなんて出来ないとばかりに告げる。

あくまでフィクションの話なのでピンと来ないかもしれませんが、では現実に知的障害を持つ、そんな人が親として自分の子供を育ててられるかという可能性について考えると現実にあり得るのかという問題に突き当たります。難しい、というより不可能と感じる人の方が多いでしょう。それは恐らく、誰もが共通の定義として認識するはずだ。

障害者が子供を育てられるか

障害を持つ人間が一つの命を育み、養っていけるかという問題について答えを出すなら、様々な条件はあるものの『可能』です。その条件とはいわゆる、

これらの条件が整っていることが最低条件となっています。けれどアイ・アム・サムの劇中では周りからのサポートはあっても、親から支援されているわけでもなく、経済的に苦しいながらも自分たちの生活を維持しながら、娘のため懸命に働き続けている姿が何より印象的だ。けれど、障害を抱える人では子供を1人で育てることの難しさは計り知れない。なにせ健康的な人でも道を違えれば子供を簡単に殺してしまう人がいるような世の中だ。

人一人が生きていくためにはまず自分の問題を解決できる人間でなければ、他の人にむけての余裕を回せません。出来ることは自分でし、出来ないことは家族ないし信頼できる人に頼る、これが出来てこそ初めて人間的な生活ができるのだ。自活出来るようになる、とはいっても独り暮らしではままならない生活をしている人も多い。そんな方々のことを思えば。劇中の知的障害を抱える人が子育てをするのが難しい、という現実にも理解は示せるはずです。

邦画特集

最終的に

結果的に、この物語では里親に出されながらもその近所に移り住むことで毎日会えること、親権を手放さずに済みました。共同親権というもので、健全に育ててくれる親の下にいながら実の父とも良好な関係を築きながら暖かなハッピーエンドを迎えている。世の中がこうであって欲しいと思いたくなる作品ですが、そうもいかないのが世知辛いところ。

この作品では特に子役、7歳のヒロイン役を演じた少女を当時演じたダコタ・ファニングの存在を著名なものにした。当時を思い出しても彼女の名演技には脱帽させられる。それだけ話題性も大きかった作品となっています。

あの名作をリバイバル